 | | 武者塚古墳は、桜川下流域の新治台地上に立地する7世紀中ごろの古墳です。墳丘は削平されていましたが、耕作に際して 地下に石棺の存在が推定され、昭和58年(1983)に新治村による村史編纂事業の一環として、筑波大学が発掘調査を行いました。調査の結果、石室は遺体を安置する玄室と副葬品を収めた前室からなり、箱式石棺と横穴式石室を折衷したような独特の形態をしていることが分かりました。石材は筑波山の麓で産出する片岩(筑波変成岩)が使われています。石室は盗掘を受けておらず、多くの副葬品が出土しました。前室からは、銀帯状金具、銀装圭頭大刀、銅装三累環頭大刀、大刀、鉄鏃、柄銅杓といった金属製品が出土しています。これらの金属製品のなかには、全国的にも類例の少ない貴重な出土品が含まれています。
玄室には、6体の人骨が確認されています。被葬者は、5体が成人(男性2体と性別不詳3体)で、頭を北向きに安置されていました。残りの1体は幼児で、頭を南向きに安置されていたことが分かっています。人骨の上には経錦と呼ばれる織物が出土しています。被葬者の毛髪も出土しており、当時の髪型である「美豆良」が分かる状態での出土は全国で唯一の事例です。また、被葬者の頸部付近を中心にメノウ製勾玉、水晶製切子玉、ガラス小玉などの玉類が出土しています。
平成26年(2014)と令和4年(2022)に筑波大学が地中レーダー探査と発掘調査を行いました。これらの調査によって、武者塚古墳は、従来考えられていた円墳ではなく、一辺22mから23mの方墳であったことが確認されました。桜川流域では、古墳時代後期以降に円墳や小型の前方後円墳を築造し、終末期に横穴石室を意識した方墳へと変化をしていきます。この成果によって、武者塚古墳は周辺の終末期古墳と同様の古墳築造の流れを踏襲していたことが判明しました。
現在、武者塚古墳の石室は覆屋の中に保存されており、出土品については上高津貝塚ふるさと歴史の広場に保管されています。 |