 | | 貝殻の散布は台地縁辺部の4地点で馬蹄形状をなす。総面積約44,000㎡、縄文中期から晩期にかけての貝塚である。
明治39年(1906)江見水蔭が紹介して知られ、昭和28年(1953)以降慶應義塾高等学校・慶應義塾大学・東京大学・土浦市教育委員会等による調査で、縄文中期・後期・晩期の土器片・猪牙製品・ヤス・製塩土器のほか、シカ等の獣骨、ヤマトシジミ・マダイ・クロダイ・スズキなどの魚骨等が出土し、内湾的な漁労活動が活発に行われていたことが明らかとなった。平坦な台地より、縄文時代の竪穴建物跡4軒、掘立柱建物跡等が発掘されている。
平成7年10月より「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」として公開されている。
|