![]() | 霞月楼は明治22(1889)年の創業で、土浦を代表する料亭である。霞ヶ浦海軍航空隊に着任した山本五十六ら海軍の幹部仕官もたびたび訪れた。 |
![]() | 霞月楼は明治22(1889)年の創業で、土浦を代表する料亭である。霞ヶ浦海軍航空隊に着任した山本五十六ら海軍の幹部仕官もたびたび訪れた。 |
![]() | 絵葉書袋。「御絵はがき 土浦町割烹霞月楼 電話十六 百三十番」 |
![]() | 丸勢旅館は三階建てで、桜橋近く(現在の保立食堂隣り)にあった。大正から昭和の初めにかけて、繭糸市場の全盛時には多くの人でにぎわった。 |
![]() | 明治時代なかごろに、川口川沿いに建築された木造3階建ての旅館ある。川口川は河岸として栄え、水運が盛んだった当事の面影がしのばれる。土浦館の絵葉書シリーズには、建物の内部の他、土浦桜川堤の桜や、霞ケ浦海軍航空隊の水上班を写した写真もある。 |
![]() | 明治時代末期から昭和時代初期にかけて、土浦の桜川堤防に桜が植樹され、1930年代には桜の名所となる。写真の桜の木はまだ細く、植えられてまもないものである。 |
![]() | 明治時代なかごろに、川口川沿いに建築された木造3階建ての旅館ある。庭園の一部を被写体としており、渡り廊下がみえる。 |
![]() | 明治時代なかごろに、川口川沿いに建築された木造3階建ての旅館ある。土浦館では第二次世界大戦中、戦火を逃れる東京の児童の受け入れも行った(学童疎開)。 |
![]() | 土浦館は、明治時代なかごろに川口川沿いに建築された木造3階建ての旅館ある。 |
![]() | 昭和8年(1933)頃の川口川沿いにあった旅館土浦館の撞球部。木造3階建ての本館とは悦に、洋食部と撞球部があった。 |
![]() | 昭和8年(1933)頃の川口川沿いにあった旅館土浦館の撞球部。木造3階建ての本館とは悦に、洋食部と撞球部があった。電灯を灯した室内には、和装の男性や女性が顔をそろえ、洋装の男性2人がキュー(突き棒)を構え、ビリヤードに興じている。水平に横切るストーブの煙突やテーブルに置かれた鳥かごもみえる。 |
![]() | 阿見坂上より霞ヶ浦海軍航空隊の水上班を望む。水上機の訓練が行われた。土浦館発行の絵葉書には桜川堤の桜もあり、周辺の名所を案内したものになっている。現在は陸上自衛隊の武器学校となっている。 |
![]() | 日新楼は中城町にあった割烹で、霞月楼とともに海軍の幹部もよく利用していた。 |
![]() | 日新楼は中城町にあった割烹で、霞月楼とともに海軍の幹部もよく利用していた。 |
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