![]() | 海軍の犠牲者のために建てられた忠魂碑。左側には昭和9年に整備されたひょうたん池がある。 |
![]() | 天守閣とあるが実際には土浦城西櫓のことである。 |
![]() | 土浦城の西櫓。こののち昭和24年のキティー台風で破損して解体されたが、平成になって復元整備された。 |
![]() | 画面左奥に櫓門と忠魂碑がたつ。右側はクロマツにエノキが着生した「宿り木」がみえる。 |
![]() | 亀城公園のうち旧土浦城東櫓付近。東櫓は明治17年に火災により焼失しており、基壇のうえに礎石がみられるのみである。背後の門は霞門。 |
![]() | 土浦城の櫓門(太鼓櫓)を写した絵葉書。 |
![]() |
![]() | クロマツの樹幹にエノキがが着生した共生木。昭和33年県指定文化財になるが、松くい虫被害により伐採された。 |
![]() | 衆議院議員の原修次郎は茨城県で初めて大臣(拓務大臣、のちには鉄道大臣も歴任)の椅子に座った人物である。 |
![]() | 昭和24年に台風被害をうけて解体される以前の西櫓の様子がわかる。 |
![]() |
![]() | 土浦城櫓門の前にあったクロマツとエノキの共生木。 |
![]() | 都市公園として整備される以前の亀城公園の様子。左側は海軍犠牲者の供養のために建てられた忠魂碑で、右側の建物は新治郡自治会館。 |
![]() | 大正時代。漆喰の剥落や落書きが著しい。昭和15年に屋根漆喰、白壁などの改装工事がおこなわれたが、昭和24年8月31日のキティー台風で破損し解体された。 |
![]() |
個別のサイトで検索上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)市内の指定文化財(土浦市教育委員会文化振興課)土浦市歴史文化遺産オンライントップに戻る |